エッセイ

Essay-6
住まいの内と外

~高機密・高断熱ブームの家づくり~

隣家の木越に視線が遠くにのびる

一時の高気密・高断熱ブームもここにきてようやく一段落したようです。勿論昔の家のような、断熱材も入っていない隙間風だらけのまるでザルのような家では居心地も悪く、省エネルギーという意味でもかなり問題のある家だとは思います。そういった意味では、家の性能を見直す契機となった「高気密・高断熱」ブームも一定の評価がされてもいいことだとは思います。

ただ、性能ばかりに目が行って、本来の人間が住む家の気持ちの良さが片隅に追いやられる風潮があったのにはどうも合点が行きませんでした。高気密・高断熱にして24時間換気を行い、空調設備(エアコン等)で室内環境を一定に出来たとしても、その気持ちの良さはあくまでも自然環境をまねた擬似的な気持ちの良さであり、自然から受ける本物の気持ちの良さとは根本的に違うものだと思っていたからです。

といっても、昔の家のような断熱材も入っていない家でいいということではありません。繰り返すようですが、行き過ぎた性能ばかりを追い求める家づくりが本当に居心地のよい家づくりに繋がっているのかどうも腑に落ちなかったのです。

高気密・高断熱の一つの方法として、外断熱が一躍脚光を浴びました。外断熱も内断熱(充填断熱)もそれぞれ一長一短があるのでどちらがいいとは言い切れない面がありますが、外断熱が脚光を浴びた一つの要因として内断熱(充填断熱)の場合の内部結露の問題がありました。家で発生した湿気が壁の中の断熱材を湿らせ、梁や柱や土台を腐らせて家の寿命を短くするという話が問題視されました。外断熱にすれば壁の中で結露することもなく、構造材を腐らせる心配もないという話です。

勿論、外断熱でも内断熱でも家の中で発生した湿気を換気するということが大前提ではありますが、でも、内部結露の話に限って言えば内断熱でも内部結露を防ぐ手だてはあるのです。まず、内装材に湿気を調湿してくれる自然素材を使うこと。そして、断熱材を一般的によく使われているグラスウールやロックウールではない、壁の中に湿気が入ってきたとしても断熱材自体がその湿気を排出できる性能をもつ断熱材を使うこと。そして、壁の中の湿気が外に排出しやすいように外壁に通気層を取ること。その3段構えで対処すれば内部結露の心配もほとんどなくなると思っています。

前述したように、外断熱でも内断熱でも一長一短なのでどちらがいいとは一概には言えないのですが、一般的に外断熱のほうが経済的には高い物になっています。また建築費的に余裕があったとしても敷地の状況で外断熱が不利な場合もあります。例えば東京都内に新たに土地を購入して住宅を建築する場合、たいていは限られた敷地の場合が多く、隣地から建物まで民法で定められている離隔距離50cmをとろうとすると、
壁の厚い外断熱の場合、家の面積がその分一回り小さくなってしまうのです。

~都市の住まい~

敷地の前の公園の風景を借景としてもらう

狭小な敷地に建つ都市の住まいに限られた話ではありませんが、視線を長く遠くに伸びるようにプランを考えることでより気持ちのよい実際より広々と感じる居心地のよい住宅をつくることが可能です。
その視線の向こうに木々の緑があればより気持ちの良さも増すと思います。でも、限られた敷地に建つ家の場合、自分の敷地に木を植えることが出来ないかもしれません。その場合はどうしたらいいでしょう?

実は古人が考えた「借景」という実に優れた手法があるのです。隣家の木々の緑を借景として取り入れるようにプランを考えることでより居心地のよい家を造ることが出来るのです。またそういった敷地でも、人の家の木々の緑を取り入れるだけでなく、出来れば道路側に1本でもいいので木を植えてもらえればと思っています。何より借景させてもらった周囲への恩返しにもなるわけですし、その木々が連続することで気持ちのよい街並みを造る事が出来るかもしれませんから。

~都市の中の森~

住まいに木々の緑があると潤いが生まれますが、実は木造の家自体が「都市の中にある森である」という話を聞いたことがあります。
50年60年かかって成長した木をまた同じだけ、いやそれ以上メンテナンスしながら住み続けることで、その木々を燃やさずに家としてある限り、都市には木々が住宅に形を変えて森として生き続けているというのです。

メンテナンスできる町場にある普通の材料を使い(特殊な材料だと30年40年後にはなくなっているかもしれません)愛着のもてる家を造り、手を入れながらなるべく永く住み続けていってほしいと思っています。

20年、30年で建て替えていてはとても勿体ない話ではありませんか。