エッセイ

Essay-8
建築基準法のここが変

~法改正にもの申す!~

「建築基準法とかけて蕎麦屋の定番ととく」
「その心は」「ザル(法)でしょう」

と言っていたのどかな時代は遙か昔。いまではがんじがらめの決まり事ばかりで息苦しいことこの上ありません。
法律を忠実に守れば居心地のよい長持ちする住宅が出来ると思えば頑張る張り合いもあるというものですが、実際はそういう性質のものではなく、お役人の責任逃れのための法律という匂いがプンプンとして文句の一つも言いたくなります。

法改正の内容があまりに業界の圧力が見え見えで、その反面、建築士の意見が全く反映されていないようで歯がゆい思いもします。室内汚染から端を発した 24時間換気は役所の責任逃れと換気扇メーカーが儲かる法律のようですし、(ビニールクロスを使った住宅と自然素材を多用した住宅を同じ土俵で一律に網を掛けるということ自体が変なのですが)柳の下の二匹目の泥鰌をねらった「火災報知器」は台所やタバコを吸う人の居室はあった方がよいと思うけれど、はたして全部の居室にまで設置する必要があるのか、そんな過剰設備な法律が知らないうちに施行されています。

例のアネハの構造偽装に端を発した基準法の改正は更に勢いを増し、今まで建築士に任されていた木造2階建てまでの住宅の構造チェックも構造事務所による計算が必要になるといった法律や、建築士の免許を持った者は定期的に試験を行いその資格を問うといった、建築士資格の価値自体を否定するような法律も出来るという噂もあります。なんだか情けないなあ・・・

一時は建築業界も民営化の波に乗り、建築士への権限譲渡も拡大されて自由度の高い住み易い世界になりつつあったのに、構造偽装の詐欺事件のお陰で、建築の質に関係のない、以前より更に法律による締め付けの厳しい世界になってしまいました。

法改正によって安全でより良い建築が出来るのであれば勿論文句はありませんが、ただの役所の責任逃れのための法律で本質的な解決になっていないのではないかと思え、そしていくら法律を厳しくしてもその裏をかいくぐるけしからん輩が出てこないとも限りません。

建築士に資格と権限を与える以上、その責任は建築士に帰すという法改正の方がよほどさっぱりと毅然とした法律でいいと思うけどなあ?(でも多額な賠償金はそもそも払えない?)

建築はシェルターとして人間の命を預かる安全なものであるべきで、その瑕疵で人命が損なわれるような自体が生じたらその設計者と建設者は厳罰をうける。どうでしょう、こんな法改正は。(保険業界が儲かるだけ?)

もう一つ謎解き小話を。
「一級建築士とかけて、足の裏のご飯粒ととく」
「その心は」
「取らないと気になるが、とっても食えない」
・・・・・お後がよろしいようで。

<東京の木で家を造る会「風土記2008年」掲載>